寳壽院とは

今からおよそ一千百年前の人皇五十四代仁明天皇の御世代、承和年間の七月二十一日の明け方より、吉野の地の山々が鳴動なりやまず、数日間続いたとされています。
この時、たまたま理源大師が、大峰山修行に来られており、この地に一夜を泊されておられました。その夜、現在在る寶壽院から西の頓合山山頂に、紫雲が立ち上がり、芳しい香りとともに不動明王がその姿を現されました。そして、「私の変り身である、三玉をこの地に遣わすので、後々の世まで加護怠るでないぞ」との言葉を残してかき消えるように天に昇ってゆかれました。

翌朝、理源大師はお告げのあった頓合山に登られ、不動明王の御尊体はいずこにあられるのかと捜し求めたところ、山の峰より落ちる滝のしぶきが金の糸のように輝いており、その滝の下より鐘を鳴らすような妙なる音が響いてきました。
大師は驚いてその音のする所に走りよってみると、船形に掘れた岩石に清水が満々とたたえられ、その中に金色の三玉が先ほどの音を発しながら光っておりました。

大師はあまりのありがたさにその場にひれ伏し、御尊体の礼拝供養に寝食を忘れて七日間祈り続けました。その功徳で数日間続いた鳴動は治まったといわれます。
その後下山した大師は、そのことを村人に伝え、遂にここに草堂を建て龍王山寳壽院と名づけました。
そのため、この御尊体は日本に唯一の船不動明王と称せられる所以であります。
以来村人たちは七月二十八日を当山奥の院の大祭とし、供物を供え護摩を修するようになりました。この護摩の火は山の濃い緑に映え、滝の瀬は遠く山々にこだましてこの世の極楽浄土を見る思いであります。
この大祭は明治初期まで女人禁制で営まれ、また本尊は厄除け雨乞いを祈念する仏として信仰されていましたが、現在では女人禁制も解かれ、世間の諸々の苦を除くとともに、人々に富をもたらす仏様として信仰されています。

高野山真言宗 準別格本山 寳壽院(ほうじゅいん)

高野山真言宗 準別格本山
寳壽院
(ほうじゅいん)



〒639-3553 奈良県吉野郡川上村迫409
TEL.0746-52-0044

アクセス
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近鉄吉野線「大和上市」駅〜奈良交通バス「湯盛温泉杉の湯」行き「ホテル杉の湯」バス停下車〜徒歩3分
<お車でお越しの方>
国道169号線 道の駅「杉の湯 川上」より1分

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